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病気はよくなったのですが、もう私には世の中がすっかり空虚からになったようで、ただ生きておるというばかりでした。そうするうちに、知己しるべの勧めでとにかく家をたたんでしばらくその宅にまいることになりましてね。病後ながらぶらぶら道具や何か取り細めていますと、いつでしたか箪笥たんすを明けますとね、亡くなりました悴の袷あわせの下から書ほんが出てまいりましてね、ふと見ますと先年外国公使の夫人がくれましたその聖書でございますよ。読むでもなくつい見ていますと、ちょいとした文句が、こう妙に胸に響くような心地こころもちがしましてね――それはこの書ほんにも符号しるしをつけて置きましたが――それから知己しるべの宅うちに越しましても、時々読んでいました。読んでいますうちに、山道に迷った者がどこかに鶏とりの声を聞くような、まっくらな晩にかすかな光がどこからかさすように思いましてね。もうその書ほんをくれた公使の夫人は帰国して、いなかったのですが、だれかに話を聞いて見たいと思っていますうちに、知己しるべの世話でそのころできました女の学校の舎監になって見ますと、それが耶蘇やそ教主義の学校でして、その教師のなかにまだ若い御夫婦の方でしたが、それは熱心な方がありましてね、この御夫婦が私のまあ先達せんだつになってくだすったのですよ。その先達に初歩ふみはじめを教おそわってこの道に入りましてから、今年でもう十六年になりますが、杖つえとも思うは実にこの書ほんで、一日もそばを放さないのでございますよ。霊魂不死という事を信じてからは、死を限りと思った世の中が広くなりまして、天の父を知ってからは親を失ってまた大きな親を得たようで、愛の働きを聞いてからは子を失なくしてまたおおぜいの子を持った心地こころもちで、望みという事を教えられてから、辛抱をするにも楽しみがつきましてね――
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